プロフィール

自己紹介

初めまして。

ブログ管理人の葵と申します。

ついこの間まで私は割と大手企業の普通の会社員でした。それも結構ベテランさん(笑)。

平日の日中は普通に働いていました。

それが当たり前だと思っていたから

まあ会社員なんてこんなもんだと疑問も持たずに働いていた日々。

多忙期になれば残業するし、時には終電間際までが何日も続く事もしばしば

ブラック企業でもない限り、残業すればそれなりに収入は増えても自由な時間は反比例で減って行く

「でも楽をしてお金は稼げないんだもの…。」

ずっとそう思っていました。

でも、今はパソコン1台だけで何不自由ない経済的・時間的自由のある生活を手に入れています。

一体何故?

そこに至るまでのキッカケを簡単に紹介したいと思います。

 

事業が落ち込み我が家を失った!

私は岩手県出身です。

幼かった頃、父は自営をやっていて、裕福とまではいかなくともそこそこの生活がそれなりに出来ていました。

でも私が中学の時、父は交通事故で受けた足の怪我で思うように歩けなくなりました。

直接的な因果関係は無くとも世の中の流れも相乗して、段々と事業もうまくいかなくなり、知らない内に両親は事業借入をあちこちから借り入れていました。

そういう中で、思えば経済的に苦しかった時期であったものの両親のおかげで何とか大学に行かせてもらう事が出来ていた私はまだ事の深刻さを理解していませんでした。

いつの間にか、お金を借りていたであろう親戚との関係もいつの間にかギクシャク…。

どんどん事業での借入が増え、自宅家屋も抵当に入っていて、ある時、手形の不渡りを二度起こしてしまい、しまいには土地家屋が競売にかかり手放す事になってしまいました。

その時の事衝撃は今でも忘れられません。

たまたま実家に帰っていたある日の夜、競売で我が家を購入したという人物からの電話を偶然私が受けました。

「私はそちらの物件を購入した者だが、何時何時までに退去してもらえませんか?」との内容∑( ̄[] ̄;)!!

そこからバタバタと長年住み慣れた我が家を泣く泣く退去した出来ごとは忘れられない出来事の一つです。

景気が良かった時には寄ってきていた知人や親戚の中でも疎遠になる人もいました。

私は「ああ、金の切れ目が縁の切れ目って本当なんだなとつくづく実感しました。

今思えばその事がベースになり、私の中では「お金はこわい」というイメージが無意識に刷り込まれていったと思います。

こわいけど、貧乏は絶対嫌だ!

一度無くした我が家だけど、いつか絶対自分の手で買って親孝行をしたい!

だから絶対お金は欲しい!

いつもそう思うようになりました。

その後、大学を卒業して幸運にも希望だった業界に入れたので何の不満も無く社会人を始めました。

そしてお金が欲しいから頑張りました。

毎年そこそこ昇給しました。

年に何度かは海外旅行にも行ったりと、そこそこリア充の生活を送れていました。

そんな時に起こった更に衝撃的な出来事…。

東日本大震災発生

その頃私は仙台で仕事をしていましたが、震災の前々日まで私は海外旅行に行っていて、帰国後も週末まで休暇が続いていたのて仙台でのんびり休日を過ごしていました。

2011年3月11日(金)の14:46

もともと東北は地震が多いので地震には比較的に慣れていましたが、それでも経験した事が無いほどに、あまりにも激しく長く揺れが続き、このまま私は生きていられないかも知れない!と思ったほどでした。

ようやく地震が落ち着いた後、しばらく余震が続いた後、岩手の沿岸エリアにある実家に電話をするも当然電話が全く繋がりません。

同じころ、仙台もずっと停電中だったのであの巨大な津波が沿岸地域を襲っているなどとは夢にも思いませんでした(テレビでは中継されていた事も当然知る由もありません)。

そんな不安な状況で停電のまま夜になったので、駐車場にある自分の車の中でしばらくの時間、知人と不安なまま過ごしていた所、ラジオから流れる報道で初めて巨大津波が太平洋沿岸の町々を襲って甚大な被害を受けている事を知り、愕然としました。

その後、デマも含めて様々な情報が行きかう中で私もあちこち情報収集に走り回り、一週間ほどたってから家族の無事が確認出来ました。

以前、自宅が競売で失ってから移り住んでいた貸家は、私の子供の頃からの思い出もろとも全て津波に流されていましたが…。

そこから再び我が家の二度目の再生が始まりました。

 

災害などにも揺るがない生活基盤を実現させる!

自宅を再建するのに再び借入が必要になりました。再び借金生活…腐れ縁ですね(苦笑)。

何とかして借金を早く返し切って何の憂いもなく家族に幸せな今後の生活も送って欲しい…日々そんな思いも強かったです。

ですので、本業の他にも稼げる副業が無いか、いつもアンテナを張っていました。

 

そんな時、私は友人からとあるビジネスセミナーに誘われて行ってみました。

「何か成功した人達が鼻息荒く自慢話をしているぞ!何だろこれ?ネットワーク?もうそれ懲りたよ!」

実はそれまでにもネットワークに関わった事はありました。

私はネットワーク全てが必ずしも悪い話とは思ってはいませんでしたが、それに便乗した不透明な仕組みなものや、人間の欲が垣間見えてしまうとやはり「もう結構!」となってしまっていました。

「やっぱり副収入で稼ぐには楽しては無理なんだなそんな風に思っていました。

 

セミナーに誘われて行ったのは、そんな、副収入の手段にさえも情報疲れをしていた日々でした。

そのセミナーでは色々なジャンルの一線で活躍しているトップリーダーが色々とお話をしていました。

 

私はそのどれか特定のジャンルに特別に興味を持ったという訳ではなく、むしろ聞きに来ている聴衆者に興味を持ちました。

学生・主婦(っぽい)・サラリーマン・リタイア世代などなど。

収入やビジネスの話に興味を持っているのはサラリーマンだけではなく、あらゆる世代やジャンルの方たちがアンテナを張らせていたんです

 

それがキッカケとなり、私は色々なビジネスセミナーに参加し、サラリーマンを辞めて起業した人や女性起業家の方たちと交流を始めました。

それらの方々に共通するコンテンツはWebビジネスという点でした。

皆さんそれぞれ社会を経験し、行き着く所は「経済的豊かさ」と「時間的豊かさ」両方を手に入れられる領域なのです。

 

私はWebビジネスこそ、その領域を兼ねていると可能性を非常に感じました。

それこそ私がずっと求めてきたものでした。

それからというもの、私は自分に見合うWebビジネスのジャンルをリサーチしまくりました。

そして縁あって今のメンターに出会う事が出来ました。

手探りで模索して模索して会社員をしていた頃の月収を超える事が出来たので会社員は卒業しました。

今では「経済」と「時間」の両方の自由を得る事が出来、「楽しく豊か」な生活を過ごせています。

親孝行ももうすぐです!

起業に属していた頃は、

・多少の具合が悪くても、満員電車に揺られて、出社しなければいけない。

・休みを取って旅行に行ったけど、そこでお金を使っちゃったからまた明日から働かなきゃ!

・病気になったり、親の介護するようになると思うように働けなくなっなりしたらどうしよう!?

などなど心配が尽きなかったですが、今は、

・旅行に行っていても

・万一の病気で寝込んでいても

・ボーッとしてても

仕組みさえちゃんと出来ていれば勝手に入ってくる収入が出来てとても安心で幸せになりました。そして精神的にもゆとりが出来ました。

今や一つの企業だけに人生を託す時代ではありません。

この前、〇〇大臣が「老後の蓄え2,000万円必要」なんて言ってましたが、国は何にもしてくれません!

将来を踏まえて正しく準備していきたいですね。

ブログ運営の目的

世の中には情報が飽和しきっています。詐欺も多いです。

私も今に至るまで、あらゆる情報を模索して信じ込み、情報をGETする為に時に借金をして無駄にお金を散財しまくってきました。

数多い自分の失敗を踏まえ、同じような経験をしている方々にも少しでも正しい情報をお伝えして本当の自由を得るお手伝いが出来ればと思っています。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

 

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